「眠れる羊たち」編・解説


まずこの「眠れる羊たち」編を読んで、おそらく誰もがこう思うだろう。
「よくもまあ、こんな残酷なシーンばかり載っているものだ。」
必殺パンチで高々と吹っ飛ばされるような、ある種コミカルな描写はほとんどない。
銃弾の雨を受けて血まみれになり、爆弾で四肢が吹き飛ばされるシーンが、当たり前のように出てくる。
しかも「眠れる羊たち」編が連載されていたのは、1988年から89年にかけてである。
当時の少年誌の表現に対する規制は、現在ほど寛容ではない。
よくもまあ、こんな作品が少年誌、それも独自の路線を行くチャンピオン誌ならいざ知らず、
ジャンプの次に「健全」だと言われる少年サンデーに載っていたものだと、ある意味関心する。
それほどまでに「B・B」の人気が高かったということだろうか?
連載当時からこの作品を読んでいたわけではないので、そこはよくわからないが。


さて、本題に入ろう。
この「眠れる羊たち」編のテーマは「非情の現実」であろう。
自分が生き延びるためには、人を殺し続けなければならない。
善悪の概念など通用せず、事によっては例え友であっても戦わなければならない。
できるなら、それを避けて通れるものならそうしたいものである。
しかし自分の道を進むために、その事を避けて通ることは出来ない。
そしてその道を進むことは自分にとって最優先事項であり、それを譲ってしまうことは己の死を意味する。
ならば、その非情の現実を受け入れるしかないのだ。
優先すべき確固たるものが、絶対に退けない一線が自分の中にあるならば、それ以外のものを許容し、
道を進むためにただ今を生きる。
例え、自分の心の何処かでそのことを拒絶していようとも。

この「眠れる羊たち」編において、自分の道を行くために「非情の現実」を受け入れた人間が二人いる。
一人は、ボクサーになるために戦場に生きることを受け入れた、主人公B・B。
そしてもう一人は、ビアンギ共和国第三地区捕虜収容所所長・グメディ。
彼は自分が「軍人」であることを、そしてその職務である「大事なものを守る」ことを最優先事項とした。
本当は彼も、ビアンギの軍事政権のあり方には疑問を持っていた。
しかし軍人である以上、命令には服従しなければならない。
何より、守るべき家族がいるのである。
もし自分が反逆者の烙印を押されてしまえば、その家族の命は明日にでも消されてしまう。
自分の最も大事なものを守るためには、例えそれが間違っていることであろうとも、
「軍人」という名の「ピエロ」を演じなければならない。
本当はこの国を愛していた彼は、一体どのような思いを持って軍人であり続けたのだろう。



キャラクター紹介の所で「劇中屈指の名場面」と書いた、大佐を撃つ場面での所長の台詞である。
彼は、これだけ激しい思いを胸の内に秘めながら、それでも尚軍人で――ピエロであり続けたのだ。
そして「ピエロの糸」を断ち切るため、大佐を射殺した後、自らその命を絶った。
何者にも左右されない強い意思を持ち、いかなる時でも夢と希望を失わない男、B・B。
かたや絶望の淵で希望を望みながら、大事なものを守るために己を殺し続けたグメディ所長。
傷つきながらも自分の道を一直線に突き進むB・Bの姿には、確かに感銘を受ける。
しかし深く心を打つのは、所長の生き様であろう。
男には守らなければならないものがいくつかある。
それは「正義」といった無形の信念であったり、「家族」や「恋人」といった形あるものであったりする。
しかし時に、それらのものが並び立たなくなってしまうことがあるのだ。
そういった状況で「信念」のために「自分であり続ける」ことを選んだのがB・Bであり、
「愛する者」のために「自分を殺す」ことを選んだのがグメディであった。
己を貫くことの難しさは誰もが知っている。
故にこの世の9割以上の人間は、何処かで己を殺して生きている。
だがしかし、己を殺し続けることも貫くことと同様に、或いはそれ以上に困難なものである。
しかもその先には、勝利も栄光もない。
自らその道を選び、そしてその道をすすんで歩んだ悲しき道化師。
その姿が人の心を抉るのは、多くの人が妥協した末に進んでいるその道を、譲れぬ信念を持って
自分の足で進んでいるからだ。


そして数々の悲劇を乗り越え、長い遠回りの末に日の当たる世界へと出ることが出来たB・B。
その信念をもって、これからどのような物語を紡いでゆくのか?
「天敵」との戦いの結末は?
物語はついに最終章へと突入する。




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