「闇ボクシング」編・解説


「闇ボクシング」編は、「B・Bの章」が一段落済んだら「森山仁の章」、といった具合に、
二つの章が同時並行で進行される。
で、登場人物紹介にも書いたが、この編で主となるのは「森山仁の章」である。
その理由を、これから述べてゆくとしよう。

「B・Bの章」では、サンフランシスコへ渡ったB・Bの、闇ボクシングにおける活躍を描いている。
人の心に訴えかける深さはないものの、間違いなく燃える。
次々と現れる強敵を、友の力を借りて苦しみながらも打ち倒してゆくそのストーリーは、
まるで古き良き日の少年ジャンプに掲載されていた作品のようであった。
ただし、理屈抜きで燃えることができる、ただそれだけだ。
心を深く刺す要素、玄人好みのストーリーは全て「森山仁の章」にある。

専属トレーナー・早瀬大の特訓により、森山仁の力と技はもはや完璧に近いレベルに達していた。
しかし最大の欠点だけは、その特訓で克服できていなかった。
その欠点とは「優しさ」である。
相手のことを考えるあまり、自分の思いを噛み殺して身動きがとれなくなってしまうのである。
そしてその優しさは、ボクサーとして致命的ともいえるものであった。
そのことに気づいた早瀬大は、病魔に冒された体に鞭撃って自分の肉体を鍛えあげ、自分の体のことや
正体など全てを打ち明けて、森山に対決を挑む。
しかし、リングに上がってなお攻撃をしようとしない森山に憤慨し、なんと自分の左手首をナイフで切り裂き、
「俺を病院へ担ぎこみたければ、俺を倒せ!」と迫る。
その姿を見て吹っ切れたかに見えた森山だったが、戦いのダメージや出血でフラフラになり、
腕も上がらなくなった状態でなお立ち向かってくる父親に、とどめを刺すことが出来なかった。
そして臨んだ日本タイトルマッチ、危篤状態にある父親の元に一刻も早く駆けつけたいという思いから
試合展開を焦り、本来の力を出せずKO負けを喫する。
そして早瀬大は死んだ。
死に目に会えなかった。
何より、自分の勝利を誰よりも望んでいた、父の思いに応えることができなかった。
悲しみ、自責、悔恨。
森山はそれらの念に苛(さいな)まれ、精神崩壊を起こす寸前にまで達してしまう。
そして半狂乱になって山中を駆け巡り、崖から転落して動けなくなったその時に彼が目にしたものは・・・
蝶だった。
蛹から羽化した蝶が、青空へ向かって飛び立ったのである。
その光景に心を洗われた森山は、見事地獄から生還したのである。
甘さを捨てた鬼として、いや、それ以上の強さを持つ「神」として・・・

「横須賀編」の解説で、『「名作」の領域に達するには、まだ足りないものがある』と書いた。
その足りないものとは「悲劇」である。
悲劇によってもたらされる人間関係の変化、そしてそれを乗り越えてゆく様は、人の心を打つ。
この父子の間には壮絶な修羅場が繰り広げられ、父の死という悲劇がもたらされた。
そして子はその悲劇を乗り越え、男として自分の足で歩き出したのである。
「父と子」というのは、悲劇の主要テーマの一つである。
古くはギリシャ悲劇「オイディプス王」、近年であれば野球漫画の傑作「巨人の星」など、枚挙に暇がない。
男であるが故に、父であるが故に、自らが大きな壁となって子の前に立ちはだかる。
母と子のようなある種の一体感というものは、父と子の間にはあり得ない。
それ故に、父はそうするしか道がないのである。
悲しい。
あまりにも悲しい性である。
しかし、悲しいが故に崇高でもある。
崇高であるが故に、父と子の悲劇は人の心を打つのであろう。


この「森山仁の章」を皮切りに、作品の雰囲気は一変する。
軽く明るい要素が鳴りを潜め、重厚なドラマが展開されてゆくのだ。
では、続きは「眠れる羊たち」編で・・・




戻る